古くはご詠歌に詠われる「中嶋」と呼ばれる海上の島にあったという住吉寺。元禄の大震災(1703)で海中の土地が隆起し、現在のような陸地になったのだとか。海上にあったころは船に乗って参拝していたとのこと。
観音堂の裏側の小高い丘までが昔の海岸線だったといわれ、今でも観音堂の前には船を係留した岩があります。
“海から陸に上がった”ユニークなお寺として親しまれるお寺です。
境内に入ると正面が本堂、右手に庫裏、左手に岩山があり、観音堂へと至る急な石段があります。天保年間(1830~1844)に改築されたお堂に安置された本尊は行基作と伝えられています。
境内には土佐與市の記念碑が。紀州印南(和歌山県印南町)出身の土佐與市は文化10年(1813)頃、南朝夷へ鰹節の製法を伝来。そのことから千倉町が「安房節」の発祥となったとのこと。
本堂左手の洞窟中には二十三夜尊があり、これは明治の頃、漁師が沖で漁をしていた時に網にかかり奉納したものといわれ、海上安全・大漁満足の仏様として信仰を集めました。
注目は観音堂の向拝にある龍の彫り物。後藤利兵衛橘義光が70歳の時に彫った作品で、南房総市の指定文化財になっています。
後藤義光は文化12年、現在の千倉町である北朝夷村に大工の子として誕生。23歳のときに江戸京橋の宮彫師・後藤三次郎恒俊に入門し、28歳のときに名声を確立。京都、鎌倉、浦賀などで活躍後、故郷に戻り、房州の社寺彫刻に優れた作品を残して、武志伊八、武田石翁とともに安房の名三工と並び称されました。雄大な荒彫仕上げ、木目を生かした優美さを堪能することができます。
お堂の外陣{げじん}には江戸末期の百観音巡礼奉納額が掲げられています。