奈良時代の神亀2年(725)、現在地の東方約1キロにある高倉山山頂に行基菩薩が開いたとされています。山号の高倉山はここから来ており、真野谷にあったために真野寺となりました。
治承3年(1179)、源頼朝は真野寺に源氏再興を祈願して、大願成就。建永元年(1206)にお堂を焼失するも、翌年には北条義時が私財を投じて現在の場所に七堂伽藍を再建し、千手観音像と大黒天像を安置したということです。
本尊の千手観音像は奈良時代、行基菩薩が一木から彫り出したと伝わるもの。行道(ぎょうどう)面をつけ、ご開帳の時も素顔を拝むことができないことから、「覆面千手観音」の異名を持っています。
一説によれば、観音様の霊験があらたかで、かえって人を怖れさせて遠ざけてしまい、そこで行道面をつけました。以来、参詣する人が増えたとのことです。
樹齢百数十年の杉木立の間の男坂と呼ばれる階段を上りつめると、正面に観音堂、右手には外陣があって大黒天像が見えます。
平安時代の貞観2年(860)、慈覚大師の前に朝日が昇るなか大黒天が出現。直ちに大師はこのご尊像を一刀三礼により彫り上げたといわれ、「朝日開運大黒天」と呼ばれています。以降、毎年2月6日には「真野の大黒さん」と呼ばれる大黒天福祭りが行われています。
関東地方に残る古像としては最大級のもので、県の指定文化財となっています。
約2000坪の境内には四季折々に花が咲き、特に桜、紫陽花が有名。
遠方からの参詣者も多く、広く親しまれているお寺です。