大黒山の麓に位置する大隆山法福寺横の急階段を登ると、山の中腹に長谷寺があります。
由緒によると、聖武天皇が病気平癒を祈願して奈良長谷寺に十一面観音を祀り、鎌倉長谷寺にも行基菩薩が2体の観音像を彫り安置。そのうち1体は足利尊氏が武運長久祈願のために帰依し、当地にお堂を建て安置しました。その後、意思を継いだ4代将軍の足利義持が僧の木鐸とともに応永13年(1406)に開創したとされています。
しかし江戸時代の元禄16年(1703)に野島崎沖を震源とする元禄大地震による津波で、堂塔など全て流失しましたが、享保13年(1728)に僧の柏庭により再興されました。
次に天保元年(1830)には火災で焼失の憂き目に遭いましたが、弘化元年(1844)に僧の古道により再興されました。
近代に入って、明治4年(1871)には、暴風雨により倒壊してしまいますが明治14年(1881)に再建されました。
こうした波乱に満ちたこのお堂の歴史は、自然環境の厳しい海際に建つお堂の宿命でもあります。
現在の観音堂は、その後幾度か改修されましたが、平成25年(2013)に長谷寺を管理する法福寺の本堂建設に伴いお堂の改修工事と、ご本尊の十一面観音像も修復され、新たなお姿でみなさまをお迎えしています。
勝山は房総捕鯨発祥の地として名高い漁港。お堂の左には三猿を刻んだ山王社と、捕鯨の醍醐出刃組が大正3年に海上安全と大漁を祈願して鎌倉から移した半僧坊が祀られています。
また、景行天皇の浮島伝説、日本武尊の妃である弟橘媛のみささぎ島伝説、源頼朝の上陸など、古代ロマンに彩られた地でもあります。
流失、消失、倒壊。そして、度重なる再建。そんな長谷寺の波乱に満ちた歴史を振り返ると、勝山漁港の漁師たちのたくましさと信仰の深さを感ぜずにはいられません。
長谷寺から階段を下りたところには、番外観音堂である水月堂があり、あわせて訪ねてみるとよいでしょう。