鋸南町を流れる佐久間川に架かる丁寧寺大橋を渡ると現れるのが丁寧寺。建長年間(1220年代)に鎌倉幕府の評定衆であった二階堂隠岐入道行盛が開創。当初は律宗のお寺でしたが、文和元年(1352)、足利尊氏が禅宗に改め、禅師・古先印元大和尚を迎えて臨済禅刹の第一祖としました。
本尊は禅師が中国の丁寧寺からもたらした釈迦如来座像。お寺の名前の起源はここから来るのです。
観音堂の本尊は木像の千手観音菩薩坐像。明暦元年(1655)の火災で堂塔を焼失するも、炎のなかから発見されたことから「焼けずの観音」と称されました。
宝永四年(1707)、山上に「正眼閣」という観音堂を構えて、千手観音菩薩坐像を安置。現在観音像は、本堂西内陣に安置されています。
仁王門の掲額「房州古禅林」は、幕末三舟のひとり、山岡鉄舟の揮毫によるものです。
どっしりとした仁王門には、焼失を免れた運慶の作と伝えられている阿形・吽形の金剛力士像が出迎えてくれます。
鉄舟揮毫の額のかかる門をくぐると、境内には柏槇(びゃくしん)が。高さ19メートル、根本の周囲が6メートルという県指定天然記念物の巨木です。応安7年(1374)、第一祖が亡くなったときに植えたものと伝えられ、樹齢は約700年と推計されています。巨木は17世紀半ばにあった明暦の大火の痕跡を留めています。
古来より、多くの末寺を抱えている丁寧寺。保田や勝山では新盆を迎えた親族縁者が7月10日と8月10日に、千手観音を詣でる「十日参り」の風習がいまも続いているとのことです。