切り立つ崖の途中に、張り出すように造られた舞台づくりの観音堂。鏡ケ浦の湾頭にそびえ立っていることから、通称「崖観音」と呼ばれています。
本尊の十一面観世音像は養老元年(717)、行基菩薩が東国行脚の際、船形山中腹の巌窟に漁民の海上安全と豊漁を祈願して彫刻したもの。背後の崖面に石の厨子を作り、像容を浮き彫りにした磨崖仏で、市の指定文化財となっています。
この十一面観世音像は風化が激しいものの、左手に水瓶を持つさまや着衣のひだが確認できます。膝の下に太いひも状のひだを作り、腰の幅を広くしたスタイルは平安時代中頃のもの。
断崖の舞台づくりの観音堂ができたのは、江戸時代に起きた元禄地震の復興のとき。正徳5年(1715)に現在のような奇抜なデザインで建てられ、関東大震災で倒壊したのちも、同じように再建されたということです。
船をふせた船底の形をしている船形山の崖観音は、海上からよく見える位置にあるため、古来より海上交通の安全祈願が行われてきました。境内に点在する石碑には、海難事故や津波の被害者とみられる人々の法名が刻まれています。観音堂内にはご詠歌の額がかかり、明治39年に寄進された賽銭箱があります。堂内の天井には、奉納された天井絵が見られます。
本堂横から伸びる石段を通り、いざ崖が張り出す観音堂の舞台へ。
崖にせり出した舞台に立つと、眼下に館山湾が広がります。波が静かな館山湾は鏡ケ浦と呼ばれる通り、太陽の光が反射して鏡のように光って見えます。爽やかな潮風に吹かれながら、欄干越しに雄大な眺望を楽しむことができるでしょう。