JR保田駅の東にある鶴ヶ浜八幡神社前の、保田川にかかる小さな橋を渡ると急坂が。両脇に咲く水仙や桜並木の景観を楽しみながら坂を上っていくと、信福寺が姿を現します。
お堂を守る小さな地蔵仏を右手に過ぎると、観音堂があります。
観音堂内のご詠歌額では「ほたのかわせに たつは白波」と景観を称えていますが、現在では残念ながら当寺から海への見通しは効きません。
境内には正和5年(1316)建立の、鋸南町が指定する有形文化財である武蔵式板石塔婆が建っています。安房地方では珍しいものとされ、秩父産の緑泥片岩を加工して作られているため、青い色をしているのが特徴。鎌倉武士の信仰と深い関わりがあるとされています。
本尊は行基菩薩の作と伝えられる如意輪観音菩薩像。この観音像は周辺の人々から「子授け観音」と呼ばれて、信仰を集めているとのことです。
信福寺は平安時代の天安年間(857~859)に、慈覚大師が草創したとされています。戦国時代の弘治元年(1555)に野火の災いに遭い、寛文9年(1669)から同13年にかけて、村の名主である高浜利盛や斉藤昌詮など村民の浄財で観音堂を再興したといわれています。
落成の際には、上総国鮎川(君津市相川)の見性寺から禅僧・本清和尚を招いて中興開山としました。和尚は延宝元年(1673年)に京仏師を招いて、如意輪観音菩薩坐像を再興したとのこと。
近年はお堂の屋根も葺き替えられ、石段も整備されて、復興の機運もうかがえる信福寺。鹿峰山の中腹に佇む観音堂は霊場としての気をたたえており、なかなかと名所といえるでしょう。