永正17年(1520)、戦国大名・里見実堯(さねたか)が吉州梵貞和尚を迎え、開基したという延命寺。以降、10代忠義までの後期里見氏の菩提寺となりました。
慶長年間には里見氏から217石あまりの寺領を与えられ、その後徳川家からも同様に保護されました。
約500年の歴史を持ち、多くの雲水が修行をした禅寺で、安房曹洞宗の中心的なお寺といえます。
本尊の十一面観音像は行基菩薩の作。元々裏山にあった平尾山大通寺の本尊でした。延命寺が創建されると大通寺は規模を縮小して庵となり、延命寺の境内に移建されました。
裏山には後期里見氏の家祖・実堯、里見氏の全盛期を築いた6代義堯、7代義弘、後継ぎなしとされて滅亡した10代忠義の忘れ形見である利輝の墓所があります。参道入口にある記念碑は明治41年、荒廃していた里見氏墓域の整備事業を記念して建てられたもの。
関東大震災で七堂伽藍を失い、その後に再建された延命寺。
山門の手前には「不許葷酒入山門」(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)という葷酒塔が。不浄な酒や葷(にら、ニンニク等)を口にして山門に入ることを禁じた碑です。
延命寺はまた「地獄極楽絵図」を所蔵。天明4年(1784)に江戸の宋庵という絵師が描いたもので、女人が息を引き取る場面から、風葬の野辺送りの様子、三途の川、賽の河原、血の池地獄、天国と順に描かれていく一連の作品です。
毎年、夏の藪入りに公開されるのが恒例で、この作品を見に、いまも多くの参詣者が訪れるとのことです。