洲崎神社に隣接する真言宗の寺、養老寺。正式名は妙法山観音寺で、かつては洲崎神社の社僧も務めた別当寺です。
寺名は養老元年(717)の創建に由来しており、開祖は役の行者(えんのぎょうじゃ)と伝えられています。役の行者は奈良時代の山岳修行者で、修験道の祖。社伝では養老元年、境内の鐘ヶ池が地変で埋まり、鐘を守っていた大蛇が災いを起こしたといわれています。祈祷により大蛇を退治したのが役の行者だったとのこと。
境内の階段を上がったところに石窟があり、役行者の石像が祀られています。里見八犬伝ではこの岩屋から現れた役の行者の化身が、伏姫に「仁義礼智忠信孝悌」の文字が浮かぶ数珠を授ける場面が有名です。海上歩行や空中歩行の神通力があった役の行者は足の守護神とされており、石窟には履物も多く奉納。
堂の左奥には役行者の霊力で湧いた独鈷水(とっこすい)があり、涸れることがないということです。
洲崎周辺では、頼朝伝説も数多く残されています。当寺に伝わる「一本すすき」伝説もそのひとつ。
伊豆での挙兵に失敗して安房に逃れた頼朝は、洲崎神社に参詣して坂東武者の結集を祈願。昼食の時に箸代わりに使ったすすきを「我が武運が強ければここに根付けよ」と地に挿し、それが根付いたのです。現在、観音堂前の階段手前右側に群生しているすすきが、頼朝の挿したすすきの子孫と伝えられ、「片葉のすすき」あるいは「一本すすき」と呼ばれています。
ご詠歌の通り、洲崎は東京湾の入口に当たる海上交通の要所。
近所には浦賀水道を行き来する船を見守る洲崎灯台があり、豊かな漁場としても名高い地です。