歴史を知る

観音寺
番外 観音寺
曹洞宗
本尊・聖観世音
住所・千葉県安房郡鋸南町保田335
電話・0470-55-1067(天野宅)
ありがたや まことの道に 手引して ふかきえにしを むすぶみほとけ

里見義実が創建した寺院

JR保田駅の南東、日本武尊を祀る保田神社の前にある観音寺。八番日本寺と九番信福寺の中間に位置する番外寺です。
縁起によれば、安房の太守・里見義実が文明3年(1471)に祈願所として建立し、本尊として新田義貞より譲り受けた聖観音立像を安置したのが始まりです。
この観音像は弘法大師の作と伝えられています。その当時は真言宗の寺院でした。

本寺であった真言宗円蔵院(南房総市千倉町)所蔵の文書には、「穂田之観音寺分弐貫代」と記された天正18年(1590)の里見義康の寺領安堵状が。徳川氏からは元和4年(1618)以来、5石の寺領が与えられたとのこと。
その後観音寺は、保田の曹洞宗昌竜寺の境外仏堂となりました。
第二次大戦のときは本堂が茅葺だったために、空襲の被害を避ける目的で解体。現在のお堂は昭和30年に新築されたものです。

観音寺

力士の墓と仇討物語

堂内の象鼻と獅子鼻の彫刻は、波の伊八こと初代武志伊八郎の作品。
境内には椎茸栽培の指導者である鈴木初太郎の碑、そして雲ノ戸重右衛門という力士の墓があります。

享保年間の頃、当地で相撲の興業があったとき、力士・雲ノ戸が相手の滝見山に逆手で投げ殺されてしまいました。この逸話は「保田の羅漢の大相撲」と知られ、のちに雲ノ戸の息子・桂川力蔵が、苦心惨憺の末に滝見山を土俵の上で討ち果たし、仇討を遂げたといわれています。この話は「成田利生記」として講談、芝居になっているとのこと。
観音寺が番外札所となった理由としては、観音霊場決定の集まりに遅れた「朝寝の観音」伝説が伝えられています。

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