長狭街道から蛇行する加茂川を越え、小原寺という寺を左に登った観音台に石間寺があります。「東陽山小原寺」「国札十六番観音」とあるふたつの石碑の間を通ると正面に小原寺の本堂があり、左側に抜けると小高い山に木が茂る樹林が。そのなかに急な石段があります。苔むした急な石段を右に回り込むように、比較的近年整備された手すり付きの坂道もあります。
石段を登りつめると三間四面の観音堂が姿を現します。
かつては嶺岡山系に連なる山の頂上にあった石間寺。火災で伽藍を焼失し、その後観音台という場所に再興したといわれています。江戸時代の元文年間にも火災があり宝暦年間に再建されるも、明治33年の火災で焼失。同39年に同地にあった西福院と合併し、翌年に観音堂を再建して小原寺と改称し、現在に至ります。
お堂の向拝には見事な龍の彫刻があり、作者は後藤義光の弟子の後藤義信とされています。
小原寺は真言宗に属し、本尊は不動明王(西福院)と十一面観世音菩薩(石間寺)。西福院の創建の年は不詳ですが、不動明王像は奈良時代の高僧・良弁僧正の作、十一面観音菩薩像は弘法大師の作とする伝承があります。良弁僧正は奈良時代の高僧の一人で、東大寺創建の中心人物。平塚の大山寺の創建者とも伝えられています。尚、弘法大使作と伝承がある十一面観音菩薩像は明治33年の火災にて焼失。その後は聖観音菩薩像をお祀し、平成22年新たに十一面観音菩薩像を本尊としてお祀しています。
観音堂の前にいると山からつたい落ちる水音が絶えず聞こえてきて、ご詠歌に詠まれたような、心洗われる風情が味わえます。
移転や合併、再建を経験した石間寺ですが、そのお堂はいまもなお霊気をたたえています。安房屈指の霊場として、訪れる者を幽玄の世界に導いてくれるでしょう。