ご詠歌が詠まれた時代、館山観音は城山公園の北にある小丘・北下台(ぼっけだい)にありました。北下台は明治から大正にかけて館山公園と呼ばれ、小高い丘から鏡ヶ浦を見下ろす景勝地でした。
ここに神亀2年(725)、行基菩薩が自ら刻んだ千手観音菩薩像を安置したのが始まりといわれています。
いまは墓地となっている北下台の墓所中央には「館山観音御堂旧址」の碑が残されています。
元和・寛永・元禄の震災を免れた館山観音ですが、関東大震災後ご本尊の観音像を長福寺に移したとのこと。
観音堂裏の永代供養墓の中には「寄子萬霊塔」が。これは明治維新の戊辰戦争の際、箱根山崎の戦いに加わり異郷の地で亡くなった農兵たちの慰霊碑。塔の裏には「鐘の音の落葉さみしき夕べかな」の句が詠まれています。
現在の観音堂は、房州の北向観音として親しまれており、延命長寿・当病平癒・試験合格等にご利益があると言われています。
館山観音はその地理的条件から、長い間にわたって、巡礼の最後に巡る結願寺として位置づけられてきました。
巡礼の手段が徒歩と海路であった頃、巡礼者は那古の港に着き、沼の港から帰っていったとのこと。
近年になって巡礼の足は電車とバスになり、さらに車や観光バスとなっても、館山港と館山駅に一番近い札所としてその位置づけは変わっていないとのこと。
現在の長福寺からは海を見渡すことはできませんが、かつての巡礼者が巡礼の最後に見たであろう絶景を、ご詠歌とともに思い浮かべてみるのもよいかもしれません。