静かな山里の風情豊かな土地に建つ観音院。行基菩薩が聖観音菩薩像を刻み、安置したのが始まりといわれています。天平6年(734)には、慈覚大師がお堂を作りました。
お寺の門前で左右を固めるようにして建つ六地蔵を拝みながら、ゆったりとした雰囲気の境内へ。
境内には室町時代の五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)の笠があり、寺の歴史の長さを物語っています。
本尊の聖観世音菩薩像は平安時代の作で、藤原様式の仏像。この観音様にはある伝説があります。
天正時代に堂守・平野三郎左衛門が鎌倉で処罰されようとしたとき、観音様が扉を開けて出ていき、身代わりとなって助けたといわれています。この霊験が伝えられて、「身代わり観音」と呼ばれています。
堂内にはたくさんの安産祈願の底抜け巾着袋が吊るされています。安産のご利益があり、無事安産した暁に袋を納めるとのこと。
観音堂向拝の龍は、明治28年の千倉の彫刻師・後藤義光の作品。欄干の飛天は明治34年、義光が88歳で亡くなる前年の、最晩年円熟の作品です。
寺には天保4年(1833)の石灯籠や、享保15年の御詠歌額も。慶長11年(1606)には里見忠義から2石の寺領が寄進され、その時の朱印状も残されています。
古来、安房国礼観音霊場巡りの三十三番の結願寺として、多くの巡礼者を見守ってきた観音院。心が和むその佇まいに、ご詠歌で「我が行く先は近くなるらん」と詠まれた通り、巡礼者のほっとする安堵の心が伝わってきそうです。