かつて古畑にあった長徳寺という寺が、滝本堂の前身といわれています。長徳寺は鎌倉時代の貞永元年(1232)に慈悲上人が安房の観音霊場を定め、観音堂である滝本堂を三十四番納めの札所に追加で選んだとのこと。大永2年(1522)土豪の糟谷石見守家種が寺を再興し、寺号を大永山普門寺長徳院と改め、千手観音菩薩立像を本尊に。天皇の勅願所として大いに栄えた時代もあったものの、明治維新後に廃仏毀釈の影響もあってか長徳寺は廃寺になったのです。
昭和34年に観音像を同じ大山にある大山寺へ移動。三十四番札所は引き継がれて、今に至っています。
山の中腹にある大山寺は、諸武将の崇敬を集めた山頂にある高蔵神社の別当寺。神亀元年(724)良弁僧正の創建といわれています。
急な石段を登りつめると、中央はお不動様で左側が観音様。不動堂には、本尊・鎌倉後期作の木造不動明王像が。また、行基作と伝わる長徳寺の本尊・千手観音像も安置されています。
向拝に踊る豪華絢爛な龍、獅子頭象鼻は、初代波の伊八が52歳のときに彫った作品。本尊の木造不動明王坐像とともに、不動堂は県指定文化財となっています。
裏の坂道には文和2年(1353)造立の宝篋印塔があります。
海抜219メートルの高さを持つ大山。寺の石段を振り返ると、長狭平野や太平洋の雄大な眺望を楽しむことができます。
三十四番目に追加された大山滝本堂。江戸や三浦半島から訪れる、古来からの海路発着のルートだと余分な移動距離が生じるため、十五番高照寺と十六番石間寺の間に立ち寄る巡礼ルートが開発されたこともあったとのことです。